久方ぶりにジョン・フォードが取組む西部の叙事詩。廣野を背景に、深い愛情を呵責ない非情で包む西部男の物語。サタデー・イヴニング・ポスト誌連載、アラン・ルメイ原作“復讐するテキサス人”を「ミスタア・ロバーツ」のフランク・S・ニュージェントが脚色、「ミスタア・ロバーツ」に続きジョン・フォードが監督、ウィントン・C・ホックが撮影を担当。主演は「中共脱出」のジョン・ウェイン、「白い羽根」のジェフリー・ハンター、「フェザー河の襲撃」のヴェラ・マイルズ、「理由なき反抗」のナタリー・ウッド、他にフォード一家のワード・ボンド、ハリー・ケイリー・ジュニア、ジョン・ウェインの息子パトリック・ウェイン等が助演。
捜索者評論(8)
堅物イーサンを演じるジョン・ウェインの魅力が傑出しています。ジェフリー・ハンターもなかなかの好演。勿論フォード監督の演出とウィントン・C・ホックの撮影は、完璧なカメラワークとカラー映像の鮮やかな美しさで魅せてくれます。ラスト・ショットに刻まれた、ひとり去っていくジョン・ウェインの孤独が何とも味わい深い。
南北戦争の帰還兵Ethanが、Comanchesにさらわれた姪のDebbieの行方を追う、5年余りにも及ぶ捜索の物語。
名作と言われるだけあって、雄大な景色と迫力あるシーンは見応えがあります。
シリアスかと思いきや、笑いを狙っている所が多々ありました。捜索だけでなく、広大な土地における狭い人間模様が盛り沢山でした。
Ethanは数多くの修羅場をくぐり抜けて来たからか、あまり好人物には見えず…。根は良い人のようですが。口癖は”That’ll be the day.”
やたらとモテるMartin、ひたすら待ちぼうけを食らうLaurie(^_^;)。先住民の女性を蹴飛ばすのは酷い(>_<)。
Debbie役を演じた2人は本当に姉妹なんですね。
長年追い詰めた宿敵Scarが、ようやく倒される所をもっと詳細に描いて欲しかったです。
Claytonのお尻の怪我には吹き出しました(^○^)。
そして、従来のフォード映画にはない雰囲気の作品として後に評価されたとのことだが、
しかし、果たして過去のフォードイズムから
脱却は出来ていただろうか。
もちろん、フォードイズムを体現する
ジョン・ウェインの、
この映画での残虐性と孤独感は
従来には無いタッチだ。
しかし、伝統的にフォード映画で
描き続けられるネイティブアメリカンの描写
は相変わらずだ。
西部劇はある意味、文明の衝突だろうから、
双方に残虐性はあったろうが、
この映画では、開拓者側の残虐性を
ウェイン一人にその性質を背負わせて
その他の開拓者は皆善人のような描写、
それに対して
総体としての残虐性を示唆するのは
ネイティブアメリカン側だ。
また、知性の優劣を匂わす映像手法は、
変わらずこの作品でも一方的だ。
川の反対側に逃げたジョン・ウェイン一行
に、撃って下さいと言わんばかりに
襲い掛かったり、
まるで自由に攻めて下さいと言わんばかりの
コマンチ族の無警戒キャンプ設定等、
まるでネイティブアメリカンは知的に劣る
人種のように描くフォード映画の慣例は
変わらないままだ。
また、ウェインとハンターが
コマンチ族に岩場に追い込まれた後、
どうして追撃を受けずに、
無事結婚式場に現れることが出来たのか等、
いくつかの不自然で説明不足な
御都合主義的ストーリー展開も
気になるところだ。
フォード監督が
少しはネイティブアメリカンの苦難を
描くことが出来たのが「シャイアン」
だったろうが、
基本的に彼は、ネイティブアメリカンを
勧善懲悪の相手として描き続けた映画人生
だったのだろうとは思った。
カメラの構図、アングル、広角や望遠レンズの多用など撮り方にはかなりの苦心とこだわりがみてとれる
明らかに本作が後にデビットリーン監督のアラビアのロレンスの映像に大きな影響を与えているとわかる
それほどの素晴らしい映像だ
もちろんインディアンとの戦闘シーンも迫力満点だ
しかし映画を見通してカタルシスを得られないのだ
まず主人公のジョンウェインの造形がヒーローとしては異質で悪役を思わせる設定
だから相棒の若者との長い旅があまり楽しくないのだ
最後はハッピーエンドなのだが大団円という感動が起こらない
主人公が最後に人格を変えるのだが、そこに至る過程が共感をもてないままラストシーンを迎えてしまう
そして肝心のインディアンとの戦闘シーンも駅馬車と比べると見劣りしてしまう
これだけ?と思ってしまうのだ
これでは確かに公開当時はヒットしなかったのもむべないと思う
21世紀に生きる人間の目で見ると、インディアンを人間扱いしないシーンは胸糞が悪い
彼らからすれば白人こそ侵略者なのだ
しかし当時はこうであるのだからそれをそのまま映画に残す態度で正しい
本作の価値を落とすものではない
西部劇の美しい映像を楽しむ
これが本作の見方ではないか