「パリ、テキサス」のビム・ベンダース監督が、敬愛する小津安二郎監督へのオマージュを込めて撮りあげたドキュメンタリー。1983年4月、東京で開催されたドイツ映画祭のために来日したベンダース監督は、小津の描いた“東京”を探して街をさまよい歩く。ベンダース監督は撮影のエドワード・ラックマンとともに好奇心の赴くまま、パチンコや竹の子族など当時の“日本的”な風景を記録。さらに小津作品には欠かせない俳優・笠智衆や小津組の名カメラマン・厚田雄春との対話を交えながら、小津の“東京”と、近代化した80年代の東京を描き出す。
東京画評論(2)
とはいえカメラが東京タワーの内部を映し出したとき、唐突にヴェルナー・ヘルツォークが出てきたときは思わず笑ってしまった。
ヘルツォークは『アギーレ/神の怒り』や『フィツカラルド』といった作品で知られるニュー・ジャーマン・シネマの旗手だ。
自然の峻厳さを最高純度で切り取るために、実際にアマゾンの奥地でロケを敢行したものの、そのあまりの厳しさに数多のスタッフが彼の元を去っていった話はけっこう有名だ。
彼はカメラに向かって純粋で澄んだ透明な映像はここにはない、と言い残し、そのままヴェンダースと別れた。
小津が描いたあの透明な「東京」はどこにあるのだろう。
ヘルツォークの断言に対する言い訳を探るようにヴェンダースの巡礼は続く。彼にとって「東京」という画(イメージ)はあまりにも根強すぎたのだ。
小津と同じ50ミリのカメラが80年代(=現代)の東京をなおも映し出し続ける。パチンコ、ゴルフ、ケンタッキーフライドチキン、ディズニーランド、ネオンサイン、代々木公園で踊る若者。
とりとめもない虚構たち。
虚構。ヴェンダースはふと定食屋の食品サンプルに目をつける。食品サンプル。食品の模造品。これも虚構。彼は食品サンプルの会社を取材し、一日中職人たちの手つきを映し続ける。こうして模倣は絶えず繰り返され、そこにあったはずの「東京」はモノクロ映画のように遠く霞んでいく。
ヴェンダースは作中で笠智衆と厚田雄春を訪ねる。
笠智衆は自分の演技が下手だと言った。小津は彼に幾度となくリテイクを突きつけたという。しかし笠は当時を肯定的に振り返る。小津さんが笠智衆という役者を作り上げたのだと。
厚田雄春は小津のもとで専属的にカメラマンを務め上げた。彼の周りのカメラマンは昇級や昇進を求めて小津組を抜けていったが、彼だけは生涯を通して小津のもとに残り続けた。
撮影の際、小津は厚田にさまざまな要求を出した。しかし厚田や他のカメラマンの要求を、小津はあまり聞き入れなかったらしい。また小津は私用のストップウォッチを肌身離さず持ち歩き、厳格にカットの秒数を測っていたという。
小津の作り出した「東京」とは、ひょっとしたら枯山水のようなものなのではないか、と私は思う。
役者の細かい所作から画面の切り取り方まで、本当に何から何まで緻密に編み上げられた、架空の自然としての「東京」。
その完璧な庭では小津の魂が自由闊達な魚のように泳ぎ回り、現実に能うほどの現実感を画面の中の世界に与えている。
ヴェンダースは電車の中で「今や映画は現実を表す術を持たない」と言った。それは換言すれば、小津は現実を表すことができていたということに他ならない。
しかし往年のスタッフたちへのインタビューを鑑みるに、小津は人々の日常を生のまま切り取るのではなく、画面の中に完璧な虚構を作り出し、そこへ小津安二郎のパーソナリティーを流し込むことによって、逆説的に嘘偽りのない現実を描写していたのではないかと思う。
したがって「東京」は東京という街のどこにも存在しないといえる。しかしそれは小津安二郎という人間の中に、確かにあったのだ。これこそが、ヘルツォークが東京の街に透明なものを何一つ発見できなかった理由であり、ヴェンダースがこの長い巡礼の果てに見出した答えなのではないか。
途中、子供を背負った老婆がヴェンダースのカメラに恥じらいながら手を振るシーンがある。私はこのシーンが強く印象に残っている。この老婆はきっともうこの世にいないんだという思いがふいに去来して、なぜだか胸を締め付けられた。新幹線ひかりが多摩川の橋を駆け抜けていくシーンもいい。河川敷にはさまざまな草木が繁茂した遊歩道が見えた。きっとこの遊歩道も今はもう残ってはいない。
ヴェンダースの映し出す東京には、その場所の、あるいは人々の現実を否が応でも想像させられてしまうような不思議な力がある。
この映画はドキュメンタリーではなく、明確なフィクションであると私は思う。彼もまた、小津安二郎のように、東京の街を徹底的な虚構として描画し、そこにヴェンダースというパーソナリティーを流し込むことで、現実を顕現させているのだ。
手を振る老婆や多摩川河川敷の風景に画面外の終焉を予感してしまったことは、私が『東京物語』を見て笠智衆になぜか「死んでほしくない!」と願ってしまったこととよく似ている。
この時期の日本の経済成長率は4%台。それなのに、本作に出てくる日本人がまったく幸福に見えないのはやはり数字のトリックがあるということなのでしょう。(GDPと幸福度は必ずしも一致しない。)
そして、本作の「視点」は、小津の作品で描かれていた東京の姿がどこにもないことに気づき、迷い、そして混沌を深めていきます。「この街では、純粋で本質的なものなど存在しない」といった、本作に出てくるドイツ人ビジネスマンの言葉がとても印象的。
東京ディズニーランドが完成し、街にいけば若者がロカビリに明け暮れ、公園では子供が野球をしている。カメラはそれでもさらなる探求をつづけていき、ようやく小津監督の魂に出会います。
それはパチンコ屋の釘師であったり、ゴルフの打ちっ放しにふける人々であったり、レストランで使うディスプレイ用のプラスチック食品をつくる人であったり。小津監督が描いた日本の魂というものが、きちんと形を変えて息づいている。本作に出てくる小津監督の側近だった人々の、彼に対する崇拝ぶりもまたしかり。(そして、わたくしなんかは観ててとても息苦しくなってくるのです。)
小津監督の作品は「東京物語」しか観たことないのですが、それを観て、表面的な印象とは裏腹にえらい怖い作品を作る人だなと思ってしまった自分がいたのですが、本作を観ると、日本人でいることがしんどくなってきました。
いずれにせよ題材の核心に迫っていくヴェンダース監督はやはり凄い人だと思いました。