あらしのよるに
プロット
日本
12月10日 2005 台灣上映
いま ここにある風景
プロット
カナダ
07月12日 2008 台灣上映
いっちょらい
プロット
日本
06月17日 2023 台灣上映
夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく
プロット
日本
09月01日 2023 台灣上映
こちらあみ子
プロット
日本
07月08日 2022 台灣上映
にあんちゃん
プロット
日本
10月28日 1959 台灣上映
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あちらにいる鬼評論(17)
こんなのを芸術とは呼ばない
こんなのを出家者、尼さんとは呼ばない
ただの色情地獄です。
美しくもなんともない。
以上
文学的要素が全くなくなってしまって、原作が大なし。
なんだろう。コレやる意味あるのだろうか?
映画を見てわかりやすい道筋だったので納得しました。
映画ゆえに多少美化されてドロドロさは陰を潜めていたけど楽しめました。
寺島しのぶは品があります。顔が以前に増して尾上菊五郎に似てきています。
ひとつ気になったのはエンドロールの役者の名前の順番でした。
単なる情事と侮れず。時代を造るカリスマ的な存在の言葉に溺れ、愛を求めて顧みないことがある種の美徳とも呼べる時代。そんな中で重なっていく2人と、その妻を描く作品。
断片的に「子宮作家」と呼ばれたり、言葉にある救いと少々面白い言動がカリスマ的な魅力へと繋がっていた瀬戸内寂聴さん。そんな彼女がモデルの、衝撃的な破天に色付けをしながら肉を持った作品と言える。時代的に考えられないほど愛に溺れ、優劣の中に浸った力強さは、昭和の馬力を感じさせる。その中にある確かな愛は2時間少々の厳かな雰囲気で彷徨う。
ただ、そこへの造詣が深くないとなかなか難しい。奔放で掴めない人間模様をなぞりながら、作品の愛に食らいついていく。濡れ場の多さに驚きつつ、大人たちの生き様に息を呑む。いや、呑まれるといったほうが近いかもしれない。
主演は寺島しのぶさん。丸坊主で衝撃的な姿を前々から感じていたが、作品の中で必要不可欠なピースだったのだと腑に落ちる。そして、想像以上に“静”な人間だったことに驚く。自由が奔放なことを指すわけではないのだと受け取った。同時に、広末涼子さんの方が“動”を持っているとさえ感じる。受動的に傷つけられていく中で何を持って生きているのか、余白に答えを求めてしまう。豊川悦司さんの敵わない感覚もカリスマらしさを感じ、凄く良かった。
昭和の人たちの力強さは、時代の強さを蓄えた結果なのだろうと感じる。そんな中で愛を追い求めた姿は、紛れもなく時代の一端だった。
前知識なしの状態で見た。瀬戸内寂聴さんがどんな人かなどはほぼ知らず、“瀬戸内寂聴さん=なんでかは知らないけどなんか有名な女のお坊さん”くらいにしか認知してなかった。
オンライン試写会、感想を投稿する前提での視聴とのことで、催促のメールが来るので感想一応書くけど、自分の感想を見た誰かがこの映画を見たい!って思わせるようなこと書ける自信が全くない。これだけは最初に断らせて欲しい。私の今の人生経験値がこの映画を見るのに足りな過ぎるだけなのかもしれない。でも自分ではどうしようもできないので、申し訳ないけどこのまま書いていくことにする。
まず、登場人物がみんなクズだった。なんで??ってくらい。不倫とかが今よりも許されるというか、黙認されてた時代背景なのかもだけど、普通に見てて気分悪かったし、見るに耐えなくて途中で見るのやめようかなって何回も思った。
瀬戸内寂聴さんのことよく知らなかった私が見て、こんな人だったのかってドン引きだったし、知らない方が良かったとすら思った。だから、瀬戸内寂聴さんが亡くなったあとの今、その人の評価を下げるかも知れないこの映画を公開していいのかな。少なからず私みたいに感じる人はいるだろうし、この映画は誰得なんだろうって本当に疑問だった。
俳優さんたちは完全にクズな人物を違和感なく演じてたって意味で上手いんだと思うけど、仕事選んだ方がいいんじゃない?、が素直な感想だな。この映画で、実際に髪の毛剃って体張ってるって言われてもなぁ、ちょっとついていけないかな。
同世代の人にはお勧めできないです。しがない女大学生の感想でした。