嵐になるまで待って
プロット
日本
02月21日 2009 台灣上映
蛙になったお姫さま
プロット
ソ連
08月21日 1993 台灣上映
きっと、またあえる
プロット
インド
08月21日 2020 台灣上映
ピカソがピカソになるまで
プロット
イギリス
01月29日 2021 台灣上映
パパにさよならできるまで
プロット
ギリシャ・ドイツ合作
02月24日 2007 台灣上映
燃えつきるまで
プロット
アメリカ
11月29日 1986 台灣上映
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おまえの親になったるで評論(1)
(前の作品 「映画ドラえもん のび太の地球交響楽(シンフォニー)」、次の作品「クオリア」)
まず、作品自体は、加害者側、つまり罪をつぐなった側の社会復帰に焦点があたるドキュメンタリー映画であり、法務省等がバックについているようにかなり質の高い映画です。こうした事情もあるので、少年刑務所、一般の刑務所ほかの案内等についても包み隠さず描写があり(もちろん、当事者の人権に配慮されてモザイクがかかることはかかる)、この点では及第点に達するのだろうというところです。
ただ、個人的には「トークショー、質疑応答を私物化するのはやめて欲しい」という点にかなりの減点幅がきます。ドキュメンタリー映画ではあるものの、どうしてもモザイク(ぼかし)などがかかる映画であり全体を一度見て理解しづらいこと、また、一般的な知識があればわからない部分や「ここは聞いておきたいかな」といった部分も、だらだらとしたトークショーと、質問タイムに関しても、予め「仕込んでおいた」(というのが良いかどうかわからないが、関係者が一般座席にいる)状態で、一般の視聴者が挙手すらできないという状況になっている点で「大概にして」という点に大半つきます。
ある程度この点、「さくらでも入れているのか…」というのは「常識範囲内では」理解はしますが(それは常識的な範囲では許されるものです)、それによって一般観客(視聴者)の質問ができなかったり、時間切れで強制カットされる(「個別に聞きたい方は前方に来るかメール、ツイッターなどで」すらない)というのが「一般観客者軽視だなぁ」といったところです。
ストーリー自体は確かに見やすい映画ではあるし、述べたいことは理解はしますが、一定の知識があると「わからない点」も確かにあり、これらを挙手する行為を阻害するのは(ただここでいう「阻害」というのは積極的行為ではなく、「さくら」を入れたことにより消極的に生じた問題)どうなのなのか…といったところです。
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(減点1.5/上記のような事情で質問ができない)
もちろん、一般常識の範囲で「さくら」を入れること自体は理解しますが、「質問タイムすらそれで切られる」なら何の質問タイムなのか不明ですし、常識範囲内で「挙手はできなかったが個別に聞きたい方は前方にどうぞ」(あるいは、QRコードやツイッターほかで聞いてもらえれば)がないので「さくら」がいる状況では一般の入場者にはどうしようもありません。
この点、トークショー自体ではなく、ナナゲイさんの配慮不足もあるんじゃないか(せめて、QRコードなどで「質問は読み取ってここで送ってください」等ということもできるし、姉妹館のシアターセブンではそれもあった)というところです。
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(減点なし/参考/保護司とこうした民間活動の協力点(官民融合の論点))
これらは一般的にある程度こうした事情に通じていればある程度沸く疑問点ですが、映画内では説明がないし、ここでも挙手ができない仕様なので…。
かつ、このこと(保護司と民間の活動の接点)なんて、「そういう問題がある」ことはある程度アンテナをはっていればもちろん、行政書士の資格持ち程度であれば「ききたいこと」ではありますが、それらがバッサリとカット。
そういった事情もあって、この映画はこうした「民間連携の論点」があるのかないのかもわからないのが厳しいところです(トークショーの進め方が下手すぎるという点に大半つきる)。