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北京物語 プロット 中国 11月05日 1988 台灣上映
東京バタフライ プロット 日本 09月11日 2020 台灣上映
東京オリンピック プロット 日本 03月20日 1965 台灣上映
東京キッド プロット 日本 09月09日 1950 台灣上映
東京ナイト プロット 日本 10月07日 1967 台灣上映
東京湾 プロット 日本 05月27日 1962 台灣上映
東京物語評論(20)
物語の中では、薄情だと思われることでも現実に生きているとそんなことは往々にしてある。
綺麗な心のまま大人になりたいという理想を静かに打ち砕くようなこの映画は、なかなか残酷だなと思った。
悪や正義のような対立はある領域においてはあるかもしれないが、「生」においてはヒーローも悪役もいない、ただ人が生きている時間がある。それは、尊いものである。
観る人によって様々な思いを抱く作品である。
観る人の年齢によっても感じ方が大きく違うのだろうなとも思える。
もう少し年をとった時、もう一度観た自分がどのように感じるのか楽しみである。
色々と新たな発見があり、大変面白かったです。
もっとのんびり落ち着いた映画だと思っていたけれど、やりすぎ?ってくらい、セットも演技も凝っていますね。
特に色々なタイミング、人の出入りや影の使い方など、カチカチと決まっていくようでスリリングでした。
それが映画後半になって、間やセリフが緩むとともに、重さが増してきて、とても説得力がありました。
熱海での逆光の堤防シーンはとても美しく、ずっと眺めていたかったです。
今回のいちばんの発見は、原節子の終盤での演技でした。
この映画は家族の話だと思っていたけれど、小津流嫁入り話の変種、バリエーションとみなしたほうが、腑に落ちやすい気がします。
このことについて、もう少し考えてみたいと思いました。
親が亡くなる年齢になるとよくわかる。シビアで残酷でもある生活というリアルさ。親子関係・自分の世界が一番大事になってくること。
老齢になるとまた違った感情で見ることになるだろう。
映画として気取ったり格好をつけたり変にドラマチックに誇張したりするような邪な部分は無く、凄く現実的で、淡々として、それが凄く残酷に見えるのだが、しかしこれが紛れもなく我々人間の住む世界の姿であり、綺麗事だけでは生き抜くことの出来ないこの世界の在り方がありのままの姿でこれ以上無く自然体に描かれていた。小津映画にはやはりあるがままや諸行無常というような悟りの境地にある達観した奥深さを感じる。本作には並大抵の人間には決して描き出すことの出来ない崇高な神々しさのようなものさえ感じた。黒澤監督といい小津監督といいやはり昔の「巨匠」とは真理を司る桁違いの達観者のことを言うのだと感じる。映画や映像芸術とは只単に彼らのメッセージを表現する手段にすぎず、彼らの真の姿は人間の精神を良き方向へと導く先導者であり達観者である真の芸術家なのだ。ヴィム・ヴェンダース監督が彼らのことを「天使」と称したことには心底納得がいく。
本作の完成度の高さは衝撃的な美しさで、商業映画のような無駄な飾りや雑な飾りはひとつも無く、必要最低限のみを濃厚に奥深く、所謂極限まで研ぎ澄まされ洗練された作品だった。「紀子三部作」の最高到達点だと感じた。これ以上研ぎ澄ませることは不可能だと感じる。究極とはここまで突き詰めることを言うのだろう。
それぞれがそれぞれの放つべき色をしっかりと色濃く出し切った名優達の演技も鳥肌ものだった。大傑作を構成するこのひとつひとつの色の交わり合いにも感動した。
「晩春」、「麦秋」に続き、またしても小津映画の持つ達観した奥深さに魅了された。間違いなく日本映画の最高峰のひとつ。このような崇高な作品を現代にも観ることか出来て只々感謝。