名匠・成瀬巳喜男が林芙美子の同名小説を映画化し、日本映画を代表する1作として語り継がれる名作メロドラマ。戦後の荒廃した日本を舞台に、腐れ縁の男女の愛の顛末を描く。戦時下の昭和18年。タイピストとしてインドシナへ渡った幸田ゆき子は、技師の富岡兼吾と出会う。富岡には日本に残してきた妻がいたが、2人は恋に落ちる。終戦後、富岡はゆき子に妻との離婚を約束して日本へ戻る。しかし遅れて帰国したゆき子が東京の富岡の家を訪ねると、富岡はいまだに妻と暮らしていた。そんな富岡に失望したゆき子は別れを決意するが、結局離れることはできず、2人は不倫の関係をずるずると続けていく。ヒロイン・ゆき子を高峰秀子、相手役の富岡を森雅之がそれぞれ好演。
浮雲評論(16)
成瀬巳喜男監督による、終戦前から直後の混乱期、男女の不倫の哀しさと成れ果てを描いた映画。林芙美子原作。予備知識があまりなく、観るまで、二葉亭四迷の「浮雲」だと思っておりました。
成瀬巳喜男氏、2作目の観賞でした。初見は『歌行燈』でした。こちらに比べると、ずいぶん重くて心にのしかかるストーリーでした。森雅之氏は以前、『白痴』(黒澤明)で観てすごく印象的でしたが、この人って「目」で演技しているような気がします。
観ていて腹が立つほど、ええ加減な口先だけの無責任男に何故、惹かれるんだろう? でも、女性の方がゾッコンという気がしますし、悲しいかな、「この男に惚れる」のも、理屈抜きで、わかってしまうところが怖かったです。ずるいのも卑怯なところも女好きでどうしようもないところ……すべてを知っているのに、離れられない、離れてもまた巡り会って追い掛けてしまう、結びついてしまう、女のサガなのか。ダメ男なのに、女をぱっと引き寄せてしまうところなどは、うまく描かれていました。(富岡とおせいの目が合い、ねんごろになる予感など)性描写はないのに、身体でつながっている男女であるのは明白だったし。温泉宿で、入浴中に、脱衣籠だけが映し出されるところなどの演出もよかったです。
雨が降り続ける、湿った屋敷、屋久島で、ゆき子が病に伏してしまい、最期を迎えるシーンは本当に哀しいですが、ゆき子の死に顔が美しく、くちびるに紅を差して、むせび泣く富岡の姿にある種のカタルシスがあったかのかもしれません。
現代風にリメイクしたら、きっと、この作品の良さは出ないでしょう。
成瀬巳喜男と高峰秀子だと
あと
階段を登る女
ですかね
森雅之と高峰秀子
喪失感と言うか
ジャケット写真見て
名画と分かります
それは頭では分かってる
けれども、成り行きで気がつけば深い仲になってしまっている
女だってこんな男と付き合ってもどうにもならない
それは分かっているのに逃げない
気がつけば追いかけている
浮雲のようにあてどもなく漂い流されていく
千切れて別れてはまたくっついていく
理屈でない、だらしなく生きる楽さが互いに欲しいのだ
いつしかそこに強烈なリアリティーを感じるようになった、自分も大人のはしくれになったということか
幸子が富岡をなじる言葉のひとつひとつにリアルで聞き覚えのある男性も多いはずと思う
とにかく幸子は何度も泣く
しかし富岡は泣くことはない
そんな真面目な男ではない
だがラストシーンで初めて泣くのだ
浮雲は流れ流れて行き着いた最果ての地で山にぶつかり雨となったのだ
とにかく高峰秀子の演技力は半端ない
仏印での清純な女性からやさぐれたパンパンまで見事に演じてみせている
森雅之もまた彼が演じる富岡兼吾という男が漂よわせる空気をこれ以上ないリアリティーで感じさせる名演技だった
監督の演出も的確で過剰ではなく流麗なほどにスムーズに物語が進行する
日本映画の傑作のひとつ