猟奇的な彼女 in NY
プロット
アメリカ
01月01日 1900 台灣上映
ステキな彼女
プロット
台湾
02月07日 1998 台灣上映
私、あなた、彼、彼女
プロット
ベルギー・フランス合作
04月29日 2022 台灣上映
Gガール 破壊的な彼女
プロット
アメリカ
02月10日 2007 台灣上映
殺さない彼と死なない彼女
プロット
日本
11月15日 2019 台灣上映
彼女の彼は、彼女
プロット
フランス
07月06日 1996 台灣上映
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猟奇的な彼女評論(20)
ストーリーは、ある男子大学生キョヌが乱暴で自由奔放な美少女と出会い、そこから始まるラブコメディー。乱暴で自由奔放な美少女には、実は一年前、付き合っていた恋人を亡くすという悲しい過去がある。最初は、ただ彼女の言いなりになってしまっていた気弱で間抜けなキョヌだが、キョヌの優しさが彼女にもどんどんと伝わり、お互いに心を許し惹かれていく。
こんな自己中心的で乱暴なヒロインの姿にイライラしてしまう人もいるかと思いますが、私は結構こういう人、映画で見る分には好きです。キョヌが彼女に振り回されたり、逃げ回るところとか、とにかく間抜けな姿を見るのは面白かったし、彼女からの電話にプリレコ風に答えるシーンや電車でしょうもないゲームを本気でやるシーンにはとても笑いました。
猟奇的というより粗暴で無礼で思い上がりも甚だしい彼女だった。美女だからってなんでも許されると思ったら最低だ。そんな自己評価の女性たちを増長させる危険があるのでよくない映画だった。彼女の家族もひどかった。
主人公も交際が発展すればするほど悲惨な現実が待っているだろうから早めに分かれたほうがいいとしか思えない。
シナリオと演技はパラサイトを超えるほどの出来映えです。
映画好きなら必ず観るべし。
たとえば、衝撃を受けた作品、人生を変えた作品──と冠して紹介する映画が、なんとなく玄人な価値を持っていてほしい、のである。
それが、大ヒット映画とか、ミーハーなアニメとか、アイドルが出てくる商業映画とか、ではなしに、こまっしゃくれた映画通を納得させる、かっこいい非通俗性があってほしい──わけである。
しかし庶民はなかなか、そうはならない。
人生の一本にアベンジャーズがあがったりする。
黒澤明監督の生きものの記録のwikiに、次のような記載がある。
『映画監督の大島渚は鉄棒で頭を殴られたような衝撃を受けたとしており、徳川夢声は、黒澤に対して「この映画を撮ったんだから、君はもういつ死んでもいいよ」と激賞したという。』(wikiより)
生きものの記録を見て感心したが、そう衝撃は受けなかった。ただし、1955年に大島渚監督のような問題意識の高い人が「鉄棒で頭を殴られたような」と形容する映画であることは、理解できる。
理解はできるが、庶民の日常から、そうそう非通俗な価値感が、はぐくまれることはない。そもそも娯楽としての見地を外すことができない。
当時大ヒットした映画。
わたしも大きな衝撃を受けた。
余談だが個人的には「人生を変えた」映画なんてものはない。どちらかといえばエンタメの影響力を棒大に語る人に「ほんとに変えた?」とお尋ねしたいタイプの人間である。
20年を経た今日までに、誰かが指摘しているかどうか、定かではないがこの映画が圧倒的だったのは、そのぐいぐいの演出力にほかならない。
映画館の暗闇ではじまって何分経ったのか確認するような映画ではなかった。おそらく青春映画の概要でぐいぐい引き込まれるテンポと展開を持った映画を見たのは初めてだったように思う。
つまり、猟奇的な彼女は、つねにその強烈なキャラクターの面白さとして語られてしまう──ことに対して、じっさいにこの映画を支えていた真価は演出力にあった。
こんな他愛ない話を122分引っ張り続ける。
わが国で、青春映画の枠組みに、122分をぐいぐい引っ張る映画が存在するだろうか。
キャラクタライズだけでなく、その演出力に違い──圧倒的な違いを感じてしかるべきだと思うが、その気配なしに笑い泣かせる、徹底して庶民を指向した本物の娯楽映画だった。
名シーンだらけ。
学生服に着替えて成人証を見せながら居酒屋に入る。で、やーやーたんべとか言って、テヒョンがたばこ吸ったことないんだよねえ、停学になっちゃうだろとか言って、人生勉強だろとか言って、あんた出世するよとか言う。そのあとクラブへ行って狂ったように踊りまくる。いま見てもああ楽しい。初見のときもすでにいい年だったんだが、なんど真似したくなったかわからない。