「慶州
ヒョンとユー」「春の夢」などで知られるチャン・リュルが監督・脚本を手がけ、福岡の街を舞台に撮りあげたファンタジードラマ。韓国で古本屋を営む男性ジェムンは、常連客である不思議な少女ソダムに誘われて日本の福岡を訪れる。そこで彼は、かつて大学時代に1人の女性を愛したことから仲違いしたままの旧友ヘヒョと再会を果たす。出演は「パラサイト
半地下の家族」のパク・ソダム、「夜の浜辺でひとり」のクォン・ヘヒョ、「22年目の記憶」のユン・ジェムン。新宿シネマカリテの特集企画「カリコレ2022/カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2022」(2022年7月15日~8月11日)上映作品。
福岡評論(3)
断りつつも店を出て歩き始めたと思ったら、えっ?もう福岡かよっ!!
そして20年音信不通だった先輩の営む飲み屋を訪れて、古本屋と先輩の昔の恋話を話したり、近況を話したり…。
いきなり福岡とか、日本語は話せないけど言ってることは判るから大丈夫とか、何しに来たのか判らないけど女とか、これは霊か?それとも夢か?
何れにせよ特に知らない人の内輪話しをタラタラタラタラみせられただけという感じで、こういうのが好きな人にはハマるんだろうけれど、最初から最後まで冗長だった。
色んな場面で死者の影がちらちらするのですが、不気味じゃなくて、なんとなく見守られてるような不思議な優しさと陽気さがあります。
慶州のろうそくのシーンのような、独特のユーモアというか、ブッ!と吹き出してしまうシーンもあります。
韓国や中国や日本や近くの国の人たちが、静かに少しだけ交流する雰囲気が、すごく好きでした。
とても素敵な映画なので、たくさんの方に観てほしいです!
全編ハンディカメラで撮影を敢行されたような作りの為か多少、今までにないアングルから撮影され、しかもその事で不思議観やサブプロット的に登場する意外な人のセットアップが少しは演出の行き過ぎと捉えても許せる範囲なのかもしれない。
Of course you can't fall asleep at night when you hit the sack
in broad daylight.
" hit the sack "ってスラングや "in broad daylight" を含め、古本屋の主人ジェムンが空耳を聞いたことで物語が本格的に始まる。
『FRANCES HA』 のオマージュとして...!?
この作品『福岡』はジャンル分けを試みれば徒労に終わり、撮影場所が日本の福岡であっても日本人、韓国人、中国人という人種に区別をつけるのは意味がなく、またドラマの真の意味合いを分かろうとするなら少女の性格はおそらく固有の若い女性というよりは仮の姿のフィクションであり、ギリシャ哲学者が物質的世界の存在を説明するために、神話的な説話を記した寓話の様に... 失われた愛にまだ傷つき苦しんでいる2人の古い友人とライバルを一緒にする言い訳となるスンイーの身代わりとして大人の彼ら自身の存在を回復させるプロセスを支援するために3番目のキャラクターである不思議な少女ソダムの存在が欠かせない。※この作品では21才となっているけどソダムという女性に関しては、あまり年齢という枠組みや概念は通用しないのかもしれない。
彼らジェムンとヘヒョは自分たちの前から忽然と消えたスンイーの亡霊という過去に縛られており、どちらも先に進むことができなかったという点で一致し、彼らの住む場所が韓国と日本の違った場所としても共時性に気が付くことが出来る。お互いを描いたラスト・シーンは、彼らの喪失と人生が容赦なく彼らを通り過ぎた方法において相互可能であると解釈することができ、また別の解釈では、それらは両方とも同じ性格であり、別の人生について空想しているだけの様にも見える。
作中、ソダムが茶店のポスターを見て、「私、この映画の女優が好き。」というセリフがある。その映画というのがノア・バームバック監督による2012年のアメリカ映画『フランシス・ハ』(Frances Ha)... ゴタゴタ続きの主人公のフランシス... がさらにへこますような事が起こってしまう。それは親友であり同居人のソフィーが突然、出て行ってしまったから。そしてそのゴタゴタを清算するために彼女のとった行動がラストに感動として帰ってくる。
記者会見の場でチャン・リュル監督の言葉として...
“In real life, I’ve seen so many relationships, or love, that didn’t end
well,” the director said in a recent press interview in eastern Seoul.
“People hide their feelings and they turn into hatred. I don’t know
about people nowadays, but I think it was more common among
the generation [born in the '80s] that Hae-hyo or Je-moon are living
in. People need to lift themselves out of that vicious [cycle].”
だからなのかもしれないけど、ここに登場する主な3人の役者さんたちのファースト・ネームを登場人物の名前に置き換え、主観的な意志のようなものを敢えて遠ざけ阻害しているようにも思える。
ただ言えることがあるとするなら...
“I think I walk on eggshells when dealing with people,” he explained.
ソダムは物語に幻想的な要素を刺激し、実在しない幽霊のようなもので彼女はまた、彼らの言語を知らなくても、人種を超えて人々とコミュニケーションをとる監督の代弁者となっていると... 好き勝手な行動をとっている2人の男性を上手く和解し次へと進む触媒のようなソダム。
二人の役者さんよりも若いパク・ソダムという俳優さんが一番難しく、一番自然に演技していたことでこの映画の素晴らしさが再確認できたのかもしれない。
この世に存在しているからこそ他人とのコミュニケーションに悩み、「そんなの関係がないという」人はもうこの世には存在価値がないと言っていいのかもしれない。失礼、辛辣すぎて!?