ベトナム戦争真只中の60年代を背景に、田舎からニューヨークにやって来た1人の若者とヒッピーたちの交流を中心に、愛と平和と人間性の回復を謳いあげたブロードウェイのヒット・ミュージカルの映画化。製作はレスター・パースキーとマイケル・バトラー、監督は「カッコーの巣の上で」のミロシュ・フォアマン、脚本はマイケル・ウェラー、撮影はミロスラフ・オンドリチェク、音楽はガルト・マクダーモット、編集はリンジー・クリングマン、製作デザインはスチュアート・ワーツェル、衣裳はアン・ロス、振付はトゥイラ・サープ、作詞はジェローム・ラグニとジェームズ・ラドーが各々担当。出演はジョン・サヴェージ、トリート・ウィリアムズ、ビヴァリー・ダンジェロ、アニー・ゴールデン、ドーシー・ライト、ドン・ダカス、シェリル・バーンズ、リチャード・ブライトなど。日本語版監修は高瀬鎮夫。テクニカラー、ビスタサイズ。1979年作品。
ヘアー評論(3)
衝撃的過ぎてどう解釈したらよいのか分からないエンディングなのだが(笑)、ロングヘアーの若者の髪への意味不明なこだわりなど当時の若者達のライフスタイルが詳しく描写されていて、作品全体としては結構愉しめるミュージカルだった。
基本的に戦争ものが好みでないので大丈夫なのか心配だった。
ただ、この映画を鑑賞した後ミュージカルの力は本当にすごいと感服した。
スウィーニートッド~フリート街の悪魔の理髪師~この映画も最初はホラーとミュージカルがコラボするという事はどうなのかと心配したが、今ではベスト1の映画である。
このヘアーという映画…終わり方が釈然としない!
華やかに終えようとしていたがだまされないぞ!
今ではメタルロックのバンドマンぐらいしかいない
つまり、それはメタルロックの記号だ
しかし50年昔は、社会通念に反抗する若者たるを主張するための記号だったのだ
それが本作のテーマでありタイトル名なのだ
オリジナルのミュージカルから、10年後の映画化だから、79年のこの頃には長髪ヘアーの持つ意味はサーファーの記号になっていた
もはや社会通念への反抗なんてどこにもなかった
本当のサーファーですらなくディスコでモテる為のサーファー風の長髪サラサラヘアーであって陸サーファーだった
本作は当時を懐かしんで作られたものだ
それ以上の意味は何も無い
そもそも本作を見れば分かる通り、社会通念への反抗?そんなものは初めから在りもしなかったのだ
単なる無軌道、無責任、甘え、モラトリアムの時代だったのだ
単なる反抗期のヒステリーだ
麻薬、フリーセックス、男女の共同生活……
本作を観ていてヒッピー達の行動や言動に呆れ腹が立ってくる
こんなことが許された時代だったのだ
本作に登場する主要な人々は今はもう70代だ
彼らは社会を混沌とさせ、米国を麻薬戦争の中に放り込んだ、社会をユルユルにした世代だ
今がこうなってしまった責任がある世代だ
そのような激しい嫌悪の視線で観てしまう
しかし、憧れだったのだ
自由と平和、ラブ&ピース
音楽、ダンス、自由な恋愛はクラクラするほど眩しく、事にこの時代の音楽には憧れがあった
冒頭とエンディングにかかる曲アクエリアスは68年の世界的ヒットで日本でも商店街で流れる程にヒットしたのだ
彼らがいなければもっと息苦しい世界だったろうことは疑いようもない
しかし、半世紀を経て今の若者達には同じ事は許されないのだ
そんな余裕は今の社会には許されていない、残されていない
まかり間違えばマッドマックスの世界が直ぐ壁の向こう側にあるのだから
今70代になった彼らはこの現代のありさまと現代の若者達の姿を見て何を思うのか
彼らはキレる老人にいまなっている
高齢の左翼老人なのだ
彼らの名前は団塊の世代だ