「奈緒ちゃん」「えんとこ」「風のかたち」など数々のヒューマンドキュメンタリーを手がけている伊勢真一監督が、戦時中にインドネシアでプロパガンダ映画の製作に携わっていた父・伊勢長之助の足跡と、その幻のフィルムを行方を追う旅を自ら記録したドキュメンタリー。戦時中、日本は植民地解放をうたってアジア各地を占領していたが、そんな中で記録映画編集者の伊勢長之助(1921~73)は、「文化戦線」の一員としてインドネシアに渡り、大東亜共栄圏という名目でプロパガンダ映画を作っていた。長之助の長男である伊勢真一監督は、亡き父がどのような思いで国策映画を手がけていたのかを知るため、30年ほど前から取材をはじめ、父の足跡と父たちが作ったフィルムの行方を追う長い旅を続けていた。やがて、その旅に真一の長男で映像ディレクターの伊勢朋矢、長女で俳優の伊勢佳世も加わり、父から子へ、そして孫へと時代の記録が手渡されていく。
いまはむかし 父・ジャワ・幻のフィルム評論(1)
記録映画製作者の伊勢長之助氏は、戦中、占領下のインドネシア・ジャワで国策宣伝映画を製作していた。鹵獲後オランダで保管されていた彼が製作した作品と、往時を知るインドネシアの映画人、ジャーナリストや一般の人々の証言から、彼がどういう想いで映画を撮っていたのかを、子の真一監督がひもとこうとする。
映画が撮りたい一心で南洋に渡った氏は、アジア解放や大東亜共栄圏などの大義を信じて映画を作っていたかもしれないが、より大きな構図としての日本の植民地支配、戦争動員や軍による蛮行の一部を担っていたことに意識はあったのか、という問いが投げかけられる。それに対する明確な答えはなく、監督自身(そしてそれを視聴する我々)が考える形に。
一方、彼が映画を作ったことで、その時代の出来事の一部が未来の世代に遺された(言葉は失われるがフィルムは残る)という点は肯定的にとらえている。この点は私も同意できる。
シナリオが氏個人にのみフォーカスしていて、日本映画社や(舞台である)ジャワ撮影所がどういう組織か、どういう経緯で採用されたかなどが語られない。予断を持たせないためかも知れないが、氏が国策映画について知らずに飛び込んだとは考えられないことから、それは逆にフェアではないのではと若干感じた。
また、引用として挟まれる氏の当時の作品をもっと見てみたかった。(オランダのアーカイブからネットで見れたりするのだろうか?)