ミッシング(1982)
プロット
アメリカ
10月30日 1982 台灣上映
ミッシング・ガン
プロット
中国・アメリカ合作
05月10日 2003 台灣上映
ミッシング(2003)
プロット
アメリカ
05月08日 2004 台灣上映
フィア・オブ・ミッシング・アウト
プロット
日本
07月31日 2021 台灣上映
ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒
プロット
アメリカ
11月13日 2020 台灣上映
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ミッシング評論(18)
大好きな吉田恵輔監督の映画に「心揺れる」なんてあまりにも安直な…とハードルを上げて臨んだが。心揺れた。突き抜けた傑作。忖度なしです。
愛娘の失踪からの家族の葛藤や温度差、SNSの嫌な切り取り方や悪意のある書き込み、メディアの印象操作。ここだけ観ると映画で取り上げられがちなテーマのように思えるけど、多層に渡って観客を試すかのように揺さぶった結果のまさかの着地点。こういう映画では珍しい『決着してないのに決着した』結末。お見事。
石原さとみが吉田恵輔監督の作品に出たいと直談判した意味が、上映前に「こういう作品に出たかった」と「一人でも多くの人に届いて欲しい」と言い切った意味がはっきりと分かる。舞台挨拶中の石原さとみは、作品内には出てこない。『ボディーソープで髪を洗う』など、徹底した役作りでオーラを微塵も感じない。あるシーンでの泣き方は、ただ単に「叫ばせとけばいい」というお涙頂戴系で片付けられない、演技力の賜物だと思いました。良くぞこの作品に巡り合ってくれた。
青木崇高との夫婦関係の会話があまりにもリアルで。『温度差』と言うけれど、「夫は冷静」とこっちが勝手にジャッジするのも違う気がするし、かと言って妻の地雷ワードや振る舞いに飛び込んでる気もするし、でも夫は間違ったと思ったらちゃんと謝るし…ぶつかり合っても奥底では繋がってる、けど考え方は違う、このせめぎあいというかピリピリ感が画面越しからも伝わり没入してしまう。
そして、夫が唯一と言って良い泣き崩れるシーンが、対峙する相手も悪意はないのは重々承知で、どれもあなたの立場でそれを言われると厳しいよ…っていうね。この設定はダメだよ…😭妻を「強いね」って言ってから数日後の出来事だもんね…。
この『悪意はない、善意のつもりだけど…』っていうのと『悪意丸出しの悪意』が作品内に共存していて、それを別物として受け取る当事者と、同じ物として受け取る当事者が共存しているのが作品の奥深さだなと思う。「こいつムカつくわ〜」っていうオバちゃんが3人くらい出てくるんだけど、最低で最高なシーン。どこから見つけてきたんだっていうベストキャスティング。
弟役の方も目の奥から狂気が伝わってきて。でもこれを「狂気」と思って決めつけることですらね…という監督の掌の上。
悪質なネットの書き込みを見て、悪質なネットの書き込みのような言葉を弟にぶつける。この表裏一体さ。
メディアとしての矜持に揺れる中村倫也の役。「悲劇の家族」としての演出をつけるシーンのキツさ。求められてる映像と、自分が撮りたい映像、保つべき中立の報道姿勢のせめぎあい。出世する人間は下世話じゃないといけないのか。失敗ばかりの新人もそうやって擦れていくのか。
見逃してるところもたくさんあると思うけど、どのシーンも何かを暗喩しているように思えるけど、はっきりとは説明しないのもこの監督の好きなところ。何かを言ってるけど聞き取れず曇る窓。買い占められたヤクルト1000。バンドTシャツ。見つからないアザラシ。自分も見てて『虎舞竜じゃん』って思っちゃったもん…発言するかは別として、ダメだよ…😭
石原さとみが後半に選んだボランティアがあまりにも不穏で、『頼むから石原さとみも子どもも犠牲にならないでくれ…』と思ったけど、そこは安易に事故に振り切らなかったのも信頼できる作り手。
ほぼラストシーンの虹と影の演出…涙なしでは見られなかった。無の時間があるエンドロールの入りも良かった。
この感想すら自分の見方の一部の切り取りだな…罪だな…と思わされるほど、胸にずしりと重たいパンチを撃たれました。もう一度観たいと諸手を上げて言えないけど、もう一度観ないとなと思わされました。
あの日から止まっていたが、少しだけ動きだした時間とそこに差し込んだ光に救われた。
最後に、石原さとみが見守り隊をする姿を観て、気づいた。
どんなに不遇でも、他人を妬まない、自分のように不幸にならないように、他人に尽くしたい、それが人としての生きる道、そう教えらた、そう感じた。
全体的に、石原さとみの演技がわざとらしくて、記者の中村倫也の偏向した取材対象者への配慮に辟易した、それも名演技の賜物でもあるのだが。
ただ、旦那の青木崇高が、どんなに妻が荒れようとも、常に冷静であろうとして、常に最善を尽くそうとする姿を観て、自分もそうありたい、強くそう教えらた、これはとてもありがたいことでした、ありがとうございます😭
インパクトを抑えて、エンドロールも静かなピアノ。
不遇や、悪意のある人、悪人から被害を受けた時、どのように生きるべきなのか考えさせられました。
マスコミやネツトなんかは存在自体がこうなる必然だから、自分の身は自分で守らなくては。
ただ、石原さとみ、青木崇高、中村倫也、の演技は見応えがありました、久々に時間を忘れて引き込まれました、ありがとうございます😊😭
でもそうじゃない。現実は映画のようにはいかない。果てしなく、ゴールが見当たらないような問題を、子供の行方が分かったら解決なのか、もし無事じゃなかったら、死ぬまで続くかもしれないもの。それが映し出された作品でした。
だからこそ、見つかって欲しい、早く終わって欲しいと思ってしまう作品でもありました。
夫と妻として、男性と女性としての考え方の違いもよく移されていました。
感情的なのに合理的な妻、論理的なのに非合理的な夫。藁にもすがり、少しでも望みがあるならと誹謗中傷を浴びながらも報道に何度も縋るのは痛ましく、本来あるべき報道に答えは無いのに、皆どこかで誰かのせいに、自分のせいにしている。
思い出すと言う行為でさえも悲しい、それでしか子供と話せないのは、思い出すことさえも嫌になりそうだが、そうしないと行動できない。たまたまできた虹を見て思い出すのは、子に触れた時のことなのか。
作中では手で触れる描写も多くあった。言葉ではなく、触れることで相手の感情や、自身の感情を示す。それは愛情か、悲しみか、怒りか。そんな単調なものでは現れないような何か。
心が揺さぶられる所ではない。
石原さとみさんは育休明け後ともあるのか、役の没頭具合がとても素晴らしかったです。視線や、体の震え、目の膜の張り具合までも操作したようにも見えるようなリアルを映し出すための演技が、とてつもなく凄く、苦しくなってしまった。
石原さとみさんはこれまで儚げのある、可愛らしい女性を演じているのを見てきたが、子を産んだ母の顔になっていた。実際にそうではあると思うが、子を産んだ女性だからこそ出来た演技とも言え、石原さとみさんだからこそ出来たのではないかとも思います。
これほどの女優がいた事に、これからの石原さとみさんの俳優業にも注目していきたいとも思いました。