1900年中国で勃発した義和団事変の史実に基いて「エル・シド」のフィリップ・ヨーダンがバーナード・ゴードンと共同で脚本を執筆、「キング・オブ・キングス(1961)」のニコラス・レイが監督した歴史スペクタクル。撮影は「戦場にかける橋」のジャック・ヒルドヤード、スペクタクル・シーンは「史上最大の作戦」のアンドリュー・マートンがあたっている。音楽は「ハイ・ヌーン」のディミトリ・ティオムキン、製作は「エル・シド」のサミュエル・ブロンストン。出演者は「エル・シド」のチャールトン・ヘストン、「渚にて」のエヴァ・ガードナー、「好敵手」のデイヴィッド・ニーヴン、「史上最大の作戦」のレオ・ゲンに「ロミオとジュリエット」のフローラ・ロブソン、「スパルタカス」のジョン・アイアランド、ロバート・ヘルプマン、伊丹十三、ポール・ルーカスなど。
北京の55日評論(3)
清朝の衰退というのは、19世紀から始まる欧米の植民地化政策によってなったのだろうから、義和団を支持した西太后だけを非難するのはおかしいだろう。製作年からするとケネディ大統領就任時期とも重なり、ベトナム戦争を正当化するかのような映画でもあるわけだ。今で言えば、イラク戦争を題材にしたものと同じ。異国の独裁者を批判しながら、その渦中へ飛び込んだ軍人の美談を長々と語る・・・
日本からは伊丹十三が柴大佐として出演しているが、ちょいと影が薄い。弾薬庫爆破のときにちょっと活躍した程度。
世界の列強が手を組んで義和団に立ち向かう、作品はそんな風にできてますが、
実際、中国を分割して旨味を吸おうとしてるのは列強で、
中国はその被害者なのだということが抜け落ちてるような気がしました。
アヘンも必要なものだったように取り上げられていて、
なんだか加害者が自分たちの都合の良いように事実を歪曲させているという印象を受けました。
ディミトリティオムキンの音楽はすごい苦労して作っただろうなーと、その試みに感心しました。
清朝末期の義和団の乱における北京の外国人居留地の55日間に及ぶ籠城戦を描く
後半の攻防戦は圧巻のスペクタクルで今では絶対に撮れない映像が展開される
CGにはない本物の迫力に溢れている
この動乱自体は教科書にも載っている程の大きな意味をもっている
簡単に言えば、世界情勢も知らず旧秩序での体制温存だけを求めて、日本でいえば攘夷そのものをなんと20世紀の始めに本格的にやってしまった動乱だ
もし明治維新がなかったら、日本がこうなっていたかもしれない
この40年も前に日本は攘夷の無謀さを知り、開国富国強兵に努め、この動乱には列強側に名前を連ねている
外交と軍事力は車の両輪であることが本作では明確に示されるシーンもある
外国に伍して内政への干渉を防ぐために、何故に中国人は明治維新に相当する革命を、無し得なかったのかと考えを巡らされる
この動乱に於いては日本陸軍の柴五郎中佐率いる日本兵の勇敢さ礼儀正しさと規律、その活躍ぶりは各国より称賛を浴びたことは有名だ
本作でも彼は有能な軍人として描かれており、若き伊丹十三が演じており列強に互して全く遜色のない頭の切れるで堂々とした軍人ぶりをみせてくれる
北京駐屯の米国海兵隊の大尉の亡き中国人妻との12歳の娘テレサが妙に現代的な美少女で目を引く
彼女はこの動乱、ひいては近代社会に生まれ変われず自滅していく国の中で翻弄される中国の民衆を象徴している
彼女は旧弊に満ちたこのような土地を離れ自由の地アメリカに渡る事を夢みているのだ
ラストシーンで彼女は、戦死した父に変わって主人公の米国海兵隊少佐の一緒に来いと差しのべる手に、満面の喜びを浮かべてすがるのだ
それから120年
21世紀の中国は世界の大国となり、米国と覇権を争う存在となった
しかしその内実はどうか?
結局のところ、西太后の清朝のような国家なのではないのか
21世紀に北京の55日が繰り返されないことを切に祈りたい
美少女テレサは今も差し伸べられる手を待っている